【珍品:其の2 『生人形:2』】
2004-09-17
さて、前回に引き続き、『生人形』を取り上げてみたいと思います。
あれから家の本を漁ったところ、荒俣宏が既に生人形と須弥山儀視実等象儀を自著内で紹介していました。詳しくは『怪奇の国ニッポン』(荒俣宏/集英社文庫)で読まれる事をお勧めします。他にも石川県の珍スポット「コスモアイル羽咋」と「モーゼの墓」が紹介されてたりと、カルト臭満点な一冊となってます。日本最大のUFO研究所「コスモアイル羽咋」と「モーゼの墓」については、いつか、「珍の煮こごり」でも紹介したいと思います。
……だいぶ話が逸れました。
前回にも書きましたが、生人形は主に、「見世物用」として作られました。
しかし生人形師・松本喜三郎の腕が、あまりに素晴らしかったため、見世物以外の道を歩んだ「生人形」が出てきます。
ひとつは、「仏」になってしまった生人形。松本喜三郎の最高傑作『谷汲観音像』。
これは当初、見世物用として制作されたが、出来が良すぎたため、喜三郎は見世物用としてもう一体同じ物を作り、こちらは仏として供養したらしいです。
今は熊本県浄国寺に観音として祀られています。この観音像も展示会に出品されていたのですが、展示ケースの下に小銭…賽銭が、山のように積まれ、側を過ぎる客が手を合わせていました。自然と姿勢を正してしまいます。
もうひとつは、日本人の標本の代用としてアメリカへ渡った生人形。(写真参照)
これは、スミソニアン自然史博物館で所蔵されており、『貴族男子像』と銘打たれています。この像は、喜三郎が2年かけて作った人形だそうです。毛髪、陰毛、脇毛は人毛が使われる徹底ぶり。
この像は元々男女対で作られた物らしいのですが、現存するのは男子像だけらしいです。
熊本市現代美術館館長、南嶌宏氏によると、
<(前略)惜しむべきは失われた女子像の行方である。男子像の完璧な保存状態を考えれば、女子像が大破によって消失したという理由にリアリティがない。ならば、その女子像の大破とは、何ゆえのものだったのか。人体標本以外の機能について、その消失が語るものこそ、生人形の存在の本質を開示するような気がしてならないのだ。>(『生人形と松本喜三郎展』カタログより抜粋)
言ってしまえば、ダッチワイフとして使用されたのではないか? と推測してる訳ですね。
ああ、ピグマリオン。愛しのガラテア。
あと、この松本喜三郎、日本人で初めて義足を使った人でもあります。
作った相手が、当時の名女形・三代目沢村田之助(1845−1878)。
この沢村田之助も色々といわくのある人みたいです。齢19歳にして脱疽に冒され、右足と、左足の膝から下、右の手首、左手は小指以外全て失ってしまい、それでも舞台に立ち続け、最後は発狂して亡くなったそうです。
沢村田之助の右足を切断したのは、ヘボン式ローマ字で有名な名医・ヘボン。ただ、松本喜三郎の作った義足は沢村田之助には合わず、実際には使用しなかったらしいです。喜三郎は己の至らずを恥じて、代金を受け取らなかったという。
結局、沢村田之助はヘボンがアメリカから取り寄せた義肢を付け、再び舞台に上がったということです。
興味もたれた方は、下記のサイトなどで。
『三代目沢村田之助』
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventSep96/sawamura.html
『わが国の義肢装具の歴史』
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r075/r075_030.htm