【珍書:其の16 噂の真相『江談抄』】
2005-03-21
いつの時代も、ワイドショーのような裏ネタ・噂話は人気があります。
そんな平安時代の裏ネタ・噂話を満載しているのが、『江談抄(ごうだんしょう)』です。
『江談抄』とは、平安時代後期の秀才学者・大江匡房※1(1041-1111)の語る話を、藤原実兼(1085-1112)が記録したものです。
※1…大江匡房については、こちらのサイトに詳しい説明がありました。
【旅研 世界歴史事典データベース】
基本的には、有職故実(=宮中のしきたり等)の記録書なのですが、物知り爺さん匡房が、思いつくまま喋ったことをそのまま記録してあるので、とにかく様々な逸話が載っています。
奇人変人の奇行などもたくさん書かれてあり、読み物として、たいへん面白い。
以前、【珍書:其の13 『邪馬臺詩』】で紹介した、奈良時代のスーパースター吉備真備の伝説も、『江談抄』の「吉備大臣入唐の間の事(3-1)」に詳しく載っています。
また、夢枕獏・岡野玲子のマンガ『陰陽師』にある源博雅の伝承も、この書がネタ元ではないでしょうか。(「博雅の三位琵琶を習ふ事」(3-63)
『江談抄』は、ただ読み物として面白いだけではなく、史学分野でも、よく資料として使われていますが……すいません。史学は門外漢です。
さて、『江談抄』で面白そうな記事を取り上げてみます。
(面白さはあくまで個人基準)
『冷泉天皇、御璽の結緒を解き開かんとし給ふ事』(2-3)
故小野宮右大臣語りて云はく、
「冷泉院、御在位の時、大入道殿(兼家)忽ち参内の意有り。よりてにはかに単騎馳せ参り、御在所を女房に尋ぬ。
女房云はく、
『夜の御殿(=清涼殿)に御します。只今、御璽の結緒を解き開かしめ給ふなり』といへり。
驚きながら闥(かど)を排(おしひら)きて参入す。女房の言のごとく筥の緒を解きたまふ間(ころほひ)なり。よりて奪ひ取り、本のごとく結ぶ」
と、云々。
<意訳>
嫌な予感を感じた藤原兼家が、急いで冷泉天皇の所へ駆けつけると、あろうことか、冷泉天皇は三種の神器のひとつ「八坂勾玉」を入れた箱を開けようとしていた。
三種の神器は、誰も開けたことがない秘宝だ。
慌てて兼家は天皇から箱を奪い取り、箱の紐を結びなおした。
一部の世界ではとても有名な、冷泉天皇です。(※2)
冷泉帝は、発狂が原因で帝の位を退いたとされています。
冷泉天皇の息子、花山天皇も精神を病んでいたとされ、両天皇の病は政争に敗れた藤原元方の呪いだとされていました。
しかし、三種の神器は天皇でも開けてはいけないことになってたんですな。
※2…『元亨四年「具注歴」裏書』によると、天皇が天暦年間、父の天皇の手紙の返事に男性性器の絵を描いたと記され(と言っても、冷泉帝は当時6、7歳。単なる子供の落書きなのではと思ったり)、『栄花物語』には、冷泉院の病気見舞いに藤原道長が参内した時、重病にもかかわらず大声で歌い出したとか……書かれているそうです。
しかし天皇発狂説は、天皇を早々と退位させるために、誇張して作られたのだとする説もあり、真偽のほどは不明。
(参考)『別冊歴史読本 歴代天皇百二十四代』
『到忠(むねただ)石を買ふ事』(3-24)
「備後の守到忠 閑院を買ひて家と為す。泉石の風流を施さんと欲(おも)ふに、いまだ立石を得ること能はず。
すなはち金一両をもつて石一つを買へり。件の事洛中に風聞す。
件の事をもつて業(なりはひ)と為す者、この事を伝へ聞き、争つて奇巌怪石を運載し、もつてその家に到りて売らんとす。
ここに到忠答へて云はく、「今は買わじ」と云々。
石を売る人々すははち門前に抛(なげう)つと云々。
しかる後、その風流あるものを選んで立つ」と云々。
賢いというか、抜け目ないというか。一休とんち話的な話ですね。
マンガ日本昔話なら、この後に真似をする者が出て、同じ事をするけど失敗……とかいうオチになるんでしょう。
『嵯峨天皇の御時、落書多々なる事』(3-42)
「嵯峨天皇の時、「無悪善」と云ふ落書、世間に多々なり。
篁(たかむら)読みて云はく、「『さがなくはよかりなまし』と読む」と云々。
天皇聞き給ひて、「篁が所為なり」と仰せられて、罪を蒙(かうぶ)らんとするところ、篁申して云はく、
「さらに候ふべからざる事なり。才学の道、しかれば今より以後絶ゆべし」と申すと云々。
天皇、「尤ももつて道理なり。しからば、この文読むべし」と仰せられて書かしめ給ふ。
一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝。
(つきよにはこぬひとまたるかきくもりあめもふらなんこひつつもねん)
かくのごとく読む」
と云々。
<意訳>
嵯峨天皇の時代、「無悪善」と書かれた怪文が出回った。
小野篁(※3)は、この文字を「さがなくはよかりなまし」(「さが」に、悪いことという意味と、嵯峨天皇をかけている。世の中に悪と嵯峨がいなければ良いのになあ)と読んだ。
天皇はそれを聞いて、「(これだけスラスラ読んだのだから)この怪文の出所は、篁だろう」と言って、小野篁を罰そうとしたところ、
「それはなりません。私が罰せられるようなことになれば、学問は途絶えてしまうでしょう」と、篁が言った。
天皇は、「それはそうだな。じゃあ、お前の潔白を示すために、この文字を読んでみろ」と言い、
<一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝>と、お書きになった。
小野篁はこれを
<つきよにはこぬひとまたるかきくもりあめもふらなんこひつつもねん(月夜には来ぬ人待たる掻き曇り雨も降らなん恋ひつつも寝ん)>
と、正しく読み、身の潔白を証明した。
これで身の潔白を証明できるところが、なんともファジーでアバウトですな。
嵯峨天皇の示した文字は
<一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝>の他に、
<子子子子子子子子子子子子>だったという説もあります。
これは、とても有名な謎かけ文です。読み方が分かりますか?
正解は、”子”という字が「ね」「こ」「し」と読めることから、
「ねこのここねこししのここしし(猫の子 仔猫 獅子の子 子獅子)」です。
※3…小野篁は、小野小町の祖父で、歌人。
有名な話に、昼は宮中、夜は閻魔大王のもとで働いていたという逸話がある。
詳しくは、こちらのサイト【E-OKINET様】が参考になります。
参考・抜粋:『江談抄 中外抄 富家語』(新日本古典文学大系・岩波書店)