【珍所:其の3 『続・それゆけ 恐山紀行』】

2005-02-19

 早起きは三文の得で、なぜかイタコのお婆さんと仲良くなりました。
 よく分からない展開なので、順を追って話すと……

 恐山には、とにかく恐山菩提寺しかありません。→参考:地図
 夕方、下界との最終連絡船(※バス)が行ってしまうと、恐山は完全に陸の孤島と化します。当然の如く、携帯電話も圏外。
(×年前の話ですが、たぶん今でも繋がらないと思います)
 横溝正史の小説なら、確実に殺人事件が起こってます。
 そんなわけで、恐山菩提寺を見終わった後は宿に引っ込むしかない。

 当時、私は朝型で、相方のM嬢は夜型でした。
 朝。5時に目が覚めた私は、寝ているM嬢をほったらかして恐山散策へ出かけることにしました。
 素晴らしい友情です。

 外出してる間に施錠されたら困るので、一応、宿の女将さんに声をかけて行こうと思い、食堂を見回すと、部屋の隅で小さなお婆さんが何かを食べている。
 ぎゅっと結い上げられた白髪に、真っ白い着物。どこからどう見てもイタコです。
 台所から出てきた女将さんが、お婆さんに向かって「オンバサ、味噌汁は?」と訊く。
 無言で首を横に振るお婆さん。目の前にあるものは、プラスチックのタッパーに溢れんばかりの……キャベツの千切り。
 お婆さんの前には、キャベツの千切りと湯飲みしかない。主食・副食どうこうのレベルではない。とにかくキャベツしかない。
「今から少し散歩に出かけます」と女将さんに話す間も、隣では黙々と大量のキャベツが咀嚼&嚥下されていく。

<イタコ同士の協定か何かで、キャベツしか食べてはいけないことになってるのか? そもそも、このキャベツは持参品なのか? 潔斎するために肉類を絶っているにしても、なぜキャベツ? キャベツの値段が高騰したらこの人達は絶滅するしかないのか?>
 あまりにもツッコミ所が多い時、人は妄想に走ります。

 キャベツを引きずったまま、とにかくその場を離れ、早朝の宇曽利湖畔を歩いてみたのですが……あまりの寒さに15分持ちませんでした。
 さすが本州最奥。2週間後に閉山するだけのことはあります。関西のノホホンな10月とはケタ違いです。
 しかも、見渡す限り人っ子一人いない。人どころか、生物の気配すらない。
 動くものといえば、黄色い硫黄の川が、泡立ちながら灰青色の宇曽利湖へ流れ込むだけ。

 寒さに負けて宿に帰ると、食堂に設置されている巨大な鉄ストーブの前に、さっきのイタコのお婆さんが座っている。
<さっきの大量のキャベツをもう……?>
 色んな疑問を押さえ込み、何となく挨拶をして隣に座り、ストーブに当たらせてもらう。
 細かい経緯は忘れましたが、なぜかここでイタコさんと意気投合し、「オンバサ(お婆ちゃん)」と呼ぶことに。

 オンバサはイタコ暦50年の大物だということで、色々と貴重な話が聞けました。
 昔は80人いたイタコも今では18人くらいになったとか、今回は30万円で呼ばれたとか。
 少し驚いたのは、全国各地へイタコが出張しているという話です。四国などへも行ってるらしいです。(この方だけかもしれませんが)
 イタコ業とは関係ない話も多く、大学生の孫がお金をせびりに来るけど、そうされてる内が可愛いのだとかエトセトラ。
 他にも色々話をしてもらったのですが、あまりにもディープな下北弁だったので60%くらいしかヒアリングできませんでした。残念。
 ちなみに、キャベツについては聞けませんでした。今でも心残りです。

 1時間くらい話した後、オンバサから「下北駅まで行くから、一緒にタクシーに乗って帰ろう」と言われました。
 二つ返事で受けたものの、何か忘れていることに気付く。
「すいません。友人がいるので、ちょっと聞いてきます」
 部屋に戻り、寝ているM嬢を無理矢理起こす。M嬢は寝起きで目をしぱしぱしている。
 説明するのもめんどくさいので、
「イタコさんが、タクシーで一緒に帰らないかって言ってくれてるけど、良い?」
「良いけど」
 即答でした。

 結局、オンバサとは下北からの電車も同じで、八戸まで一緒に帰りました。
 電車の中では、謎のドイツ人とも遭遇。温泉好きで、今日中に淡路島まで行くのだと言う。
 さすが大陸人。移動スケールが違います。

<後日談>
 結局、オンバサのタクシーで帰ったため、下山にはムード満点な下北交通バスを使いませんでした。
 最近になって、ある教授から聞いた話によると、帰りのバスの車内放送では、
「本日お亡くなりになった方、○○の××さん、□□の……」
 死亡記事を延々と読みあげてくれるそうです。
 なんという非日常ワールド。

【珍所:其の2 『女2人旅 恐山紀行』】

2005-02-16

 そういえば、珍所はあまり紹介していなかったので、今回は有名な「恐山」を取り上げてみます。
 有名すぎて、どこが「珍」なんだと思われるかもしれませんが、色々と面白い出来事もあったので、とりあえず記憶がボケないうちに書いておきます。

 ×年前、友人M嬢に誘われ、青森県の恐山へ行く機会がありました。(当時は2人とも女子大生)
「どうせ行くならイタコのいる時期に」(※)
 ということで、これから寒くなろうという10月に、わざわざ本州の最北端まで行くことになりました。

※…イタコさんは年がら年中恐山にいるわけではない。「大祭」と「秋詣り」」期間中しかいない。
 
 「とりあえず夜行列車に乗ってみたい」という友人の希望により、夜行列車 日本海に乗って青森駅まで向かったんですが、これがもう大変でした。
 B寝台の上段ベッドで寝てたんですが、電車が停車する毎に、もの凄い振動が襲ってくる。私はどこでも寝られる方なんですが、さすがに体が慣れてくるまで、駅毎に目が覚めました。
 何より、同じ車両に乗り合わせた親父どものうるさいこと。
 歌に「北へ帰る人の群れは誰も無口で」とあります。あれは全くの嘘っぱちです。
 田舎へ帰る高揚心+アルコールの勢いで、深夜まで騒ぐ騒ぐ。意味不明なことを喚くたびに、どっと笑いが起きる。これの延々繰り返し。
 あんたら、本当に意味が分かって笑っているのかと。胸の内でツッコムことしきり。
 まぁ、親父さん達はこれが楽しみで、そう安くもない夜行列車に乗って帰るのでしょう。
 しかも親父衆の朝は、やたらと早い。
 昨日の酔いは何処へやら。五時頃から起き出して、もの凄い勢いで通路を行き来してくれやがります。本当、勘弁してください。
 これが東北人のアセトアルデヒド脱水素酵素の威力かと、完敗した思いでありました。

 さて、青森駅からは、電車で下北駅へ向かいました。
 本来は、大畑線という本州最北端の路線に乗り換えるはずだったんですが、廃線間近だということで、バスで恐山まで行くことになりました。
 このバスが、また何とも言えない殺伐感を醸し出してくれました。
 何が凄いかと言うと、車内放送に地蔵和讃が流れるのです。

「♪二つや三つや四つや五つ。十にもたらぬみどり子が
 賽の河原に集まりて。父上恋し、母恋し、
 恋し恋しと泣く声は。この世の声とは 事変わり
 悲しさ骨身を通すなり……」


 静まりかえる車内。ありとあらゆる意味で、ムード満点です。

 何はともあれバスは山間を抜け、ついに恐山へ。
 バスを降りた途端、鼻を突く硫黄臭。
 道のど真ん中で硫黄が泡立ち、黄色い水たまりを作っている。踏んで良いのか悪いのか。

 ちなみに「恐山」とは、慈覚大師円仁開基の恐山菩提寺を中心とした一帯を指します。
 寺の総門・山門はあるのですが、壁や敷居は無い。だだっ広い岩と石の風景に、お堂が点在している。その後ろには、連なる山々。
 私が普段慣れている、京都や奈良の「どこからどこまでが寺の敷地」という感覚じゃなく、「見えてる範囲が寺」の世界なのです。
 それ以前に、他の建物が無いわけですが。

 入山料500円を払って門をくぐる前に、巷で有名なアレを食べました。
 恐山名物「合掌 霊山アイス」
 確かオレンジ味だったと思います。本当、普通に美味しいです。
 秋深まる10月の青森山中で食べるアイスは、身も心も懐も存分に冷やしてくれました。(霊山アイスは下界よりも少々高値)
 これが潔斎代わりだったのかもしれません。煩悩だらけのアイス垢離。

 恐山菩提寺の内部は、大変失礼な言い方をすると「仏教テーマパーク」です。
 占い(イタコ)あり、スパワールド(温泉)あり、アトラクション(地獄巡り)あり。ただし対象年齢は非常に高めですが。

 山門をくぐると、すぐ横に小屋のようなものがズラっと並んでいます。小屋の中にはひとりずつイタコさんがいて、その前に人が列を作って並んでいます。


 遠くから眺めていても、白装束を身に纏ったイタコさんの口寄せが聞こえてきます。風景に混じる独特のイントネーションと訛り。


 これが恐山の日常風景なんだなぁと、理由なく納得したり。

 境内には、何ヶ所も硫黄が泡を吹いていており、そこが様々な地獄に見立てられています。
 地獄を抜けると、白い極楽浜(賽の河原)と、真っ青な宇曽利湖が眼前に広がります。白い砂浜に真っ赤な風車がカラカラ回り、小さな手積みの塚がいくつもある。
 宇曽利湖は、とてつもなく静かで美しい湖です。
 強酸性のため生き物(※)はほとんど住めないらしく、水辺に近寄って見ると、細かい炭酸の泡が湖底から一直線に連なって出ています。
 無機物の静けさが、こめかみに痛い。

※…魚類は、ウグイだけが住んでいる。宇曽利湖産のウグイは、エラの塩類細胞が特殊な発達を遂げており、強酸性下でも生存可能という世界的にも珍しい魚。
 参考:宇曽利湖のウグイえらに特殊機能


 「順路」と書いてあるが、一体どこへ進めばよいのやら。

 恐山紀行は、何だかよく分からないまま下へ続きます。

【雑感:其の11 『嶋田久作の絶唱』】

2005-01-28

 ええ、もう、びっくりしました。ホント。
 久作ですよ、久作。嶋田久作
 略して、シマQ。
 最近、Apeos(アペオスby富士ゼロックス)のCMで、黒光りする笑顔を惜しげもなく晒してやがると思ってたら! 思っていたら!
 
 家でチャンコ鍋など突きながら、音楽番組を見ていたんですよ。ええ、あの何とかいうヤツです。泣きキャラの徳光和夫が出てる……そうそう。『速報、歌の大辞テン!!』とかいう番組です。
 少々沈鬱な出来事があり、通夜のような鍋だったんですが。とりあえず場を刺激せず、無難に流せる番組がこれしかなかったというていたらく。
 今日のゲストはあべ静江友近かあ。YUKIのバックバンドの服装、まるでインテル社のバニー・スーツ※1だなあ。今日の鍋も味が薄いなあ。ああ、うどんが無いからって、代用にインスタントの『渡る世間は鬼ばかり 幸楽ラーメン』を使うのはどうかと思うんだけど、お母さん。うわあ、のびる、溶ける、ああ、だから、食べ終わる前に次を入れないで。……ああそう、頑張って場を盛り上げてるのは私だけですか、そうですか、そうなんですか。勝手に食え。もう知らん。
 などと、私はその時、忘我の境地にあったんです。
 そんな折りも折り、映画『tokyo tower』のテーマソングになっている山下達郎の『FOREVER MINE』が流れてくるじゃありませんか。
 しかも、見ると何やら、ごついオッサンが歌っている。
 山下達郎と言えば、自分のPVに出演しないことで有名ですが、以前、どこかの芸能番組で暴露されてました。
「本人出演のPVは、作られているんです。でも、いつも制作サイドからマッタがかかって、お蔵入りになるんです」
 この芸能リポーターの話が、どこまで信憑性あるかは不明です。でも、もし本当なら、心に残る映像が見られるかもしれない。これを見逃す手はないと、TVの近くへ寄って行ったわけです。

 違うとすぐ気づきました。
 顎が、顎が、長すぎるんです。
 顎の長い浮浪者が、冬のベンチに座り、ピアノの弾き真似しながら『FOREVER MINE』を絶唱しているんです。
 その時、画面の隅に小さくテロップが出ました。
 ……嶋田久作

 その姿は、帝都破壊に失敗した加藤保憲※2が行き暮れて、何をトチ狂ったのか、ラブソング歌っているようにしか見えませんでした。

 感動さめやらぬまま、このPVについて調べたところ「めざましテレビ」のログが引っかかりました。
山下達郎の新曲「FOREVER MINE」のプロモーションビデオがめざましテレビに届いた。内容は嶋田久作演じるある男が自分の死の直前に昔愛した女性を思い出すという幻想的なものとなっている。 >
 凄い内容です。ぜひとも、全部通して拝見したいものです。

 それにしても嶋田久作、最近、感情を見せる役柄多いですね。
 個人的に嶋田久作の真骨頂は、「無表情→いきなり壊れる(感情を出す)」だと思いますので、アペオスのCMは、もう少しタメが欲しかったです。
 けっこう古いCMなので覚えている人は少ないかもしれませんが、嶋田久作の魅力を一番引き出したのは、何と言ってもアサヒフードアンドヘルスケア(株)の携帯栄養食「バランスアップ」のCMだったと思います。 
 嶋田久作が、小さな粒クッキーを無表情のまま咀嚼し続け、最後の最後でたった一言、
 「栄養」
 と、ドスの効いた声で呟くだけのCMでした。
 なんとも素晴らしい。
 めくるめく嶋田久作の世界。

※1「バニー・スーツ」インテル社のクリーンルームで働く人が着用しているスーツ。外から見るとまるで宇宙人。一般的に思い浮かぶ、露出度の高い「バニースーツ」とは対極に位置する。

※2「加藤保憲荒俣宏原作『帝都物語』の主要キャラ。帝都破壊を目論む怪人。実写版で嶋田久作が演じたところ、あまりにもハマリ役だったため、荒俣宏が原作の単行本化に際して、加藤の外見について嶋田久作に似せた描写を書き加えたほどだとか。→はてなダイアリー嶋田久作 

<参考サイト>
「嶋田久作にメロメロ」
プロフィールのページは必見。嶋田久作、俳優になる前は、大学生協でレジ打ちをしていたみたいですね。
スタジオシノハラ「作品紹介」ページに嶋田久作の写真が……失礼極まりないですが、笑えました。

【珍書:其の14 『大人の伊勢物語【古注】』】

2005-01-30

 いきなり知人が、
「今さ、『伊勢物語』にはまってるんだわ。もう、今年は絶対来るって、在原業平がッ!」
 と、力説している夢を見ました。十中八九、正夢にはならないと思いますし、思いたくもありませんが……。丁度良い機会なので、今回は『伊勢物語』を取り上げてみようと思います。
 実を申しますと『伊勢物語』は、○年前、私が教育実習で担当した思い出深い古典でもあります。

<昔、おとこ、うゐかうぶりして、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。>
 よく知られた『伊勢物語』の冒頭部分です。<春はあけぼの<(『枕草子』)や>祇園精舍の鐘の聲>(『平家物語』)の、次の次の次くらいには有名じゃないかと思います。『伊勢物語』は、古典の教科書にも取り上げられていますし、ご存じの方も多いと思います。
 さて、こんなによく知られた『伊勢物語』を、どうして「珍」として取り上げるのかと言うと、『伊勢物語』本体ではなく、享受のされ方が「珍」だからです。
 と言っても訳が分からないので、順を追って説明していきますね。

 まず、『伊勢物語』という作品ですが、これは10世紀半ば成立したと考えられています。だいたい、藤原氏摂関政治を始めだしたくらいですかね。内容は、主人公の恋愛遍歴を綴った約120段の短編からなる物語です。
 元々、『伊勢物語』の主人公は、「特定の誰」と決まっていたわけではなく、様々な人の様々な色恋話が集まったものでした。しかし鎌倉時代頃から、主人公=在原業平として統一されるようになってきます。
 この在原業平が、様々な女性と恋愛遍歴を重ねていくわけですが、特に藤原高子(=二条の后・清和天皇の女御)との身分違いの恋愛譚は、『伊勢物語』の中核を成しています。
 
……と、まぁ、ここまでは、学校の古典の授業で習います。
 ここから先が、中学・高校では絶対に教えてくれない、大人の『伊勢物語』講座なのです。(と、集客力が良さそうな事を言ってみる)

 『伊勢物語』本文はとても短く、細かい説明がほとんど無いため、『伊勢物語』を読み解くために、鎌倉時代〜室町前期にかけ、多くの注釈書が作られていくのです。つまり、
「『伊勢物語』は、きっと、裏に何か壮大な秘密を隠しているに違いない。それを解き明かさなくては!」
 という、今なら確実に「電波」呼ばわりされるような説が、たくさん中世に作られるのです。
 この「裏に何か壮大な秘密」というのが、艶釈……つまり、エロ解釈なんですね。
 しかも、この説は、室町後期頃まで世間の「一般常識」となっていました。今だからこそ「エロ親父の戯言」と思いますが、当時はきっと「ありがたい教え」だったんだと想像します。……多分。

 この鎌倉〜室町の奇天烈な『伊勢物語』の解釈を【古注】と呼び、室町中期〜江戸期に起きる【旧注】と区別しています。

 それでは、【古注】の素晴らしい世界をご紹介しましょう。
 【古注】の基本設定は、在原業平は「陰陽(男女関係)の神」とされ、多くの女性と関係を結ぶことで、女性を仏道に導いたとします。
 具体例を出しましょう。
(※訳はアバウトです。……大目に見て下さい。堪忍してください)
伊勢物語』本文
<七段>
 むかし、おとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに、伊勢、おはりのあはひの海づらを行くに、浪のいと白く立つを見て、
 いとどしく過ぎゆくかたの恋ひしきにうら山しくもかへる浪かな
となむよめりける。
●現代適当語訳
<昔、ひとりの男がいた。
 都に居辛くなって、東国へ向かう途中、伊勢・尾張の海辺で、波がとても白く泡立っているのを見て、次のような歌を詠んだ。
「昔が懐かしく思い出される。波が羨ましい。波は帰ることができるのだから」>

 たったこれだけしかない短い本文に対して、【古注】の解釈はというと、
『冷泉流伊勢物語抄』
<七段>
 昔男有けり。京に有わびて、東の方へ行けるとは、実に有わびてあづまに行には非ず。二条の后をぬすみ奉る事あらはれて、東山の関白忠仁良房公の許に預けをかるるを云也。東といふ字に付てあづまといふ也。伊勢尾張のあわいとは、后と業平と二人のあはひ也。男女の契のおはりのあはひ也。あはひといふは、二人の交りなり。(中略)されば伊勢おはりのあわひとは、業平と后の契の終の交也。伊勢はゐんやうの義。(以下略)

●現代適当語訳
>「昔、ひとりの男がいた。都に居辛くなって東国へ行った」というのは、本当に東国へ向かったのではない。
 二条の后(=藤原高子)と駆け落ちしたのがバレて、(連れ戻された二条の后が)東山の関白良房公のもとへ預けられた事をいうのだ。東山の東をとって「あづま」と言ってるだけだ。
 「伊勢尾張のあわい」とは、二条の后と業平、2人の逢瀬のことだ。男女関係の終わりの逢瀬のことなのだ。
 「あはひ」というのは2人の肉体関係をいう。だから「伊勢尾張のあはひ」とは、業平と二条の后の最後の一夜を言うのだ。
 「伊勢」という字は男女関係の意味である>

 感心するくらい、ものすごい曲解です。行間を読みすぎて、在らぬ方向へ飛び去っているとしか思えません。

 今、引用した『冷泉流伊勢物語抄』は、【古注】の代表的な書物です。
 同じく【古注】の代表格、『和歌知顕集』の冒頭部分に、『伊勢物語』とはどういう書物なのかが、問答形式で書かれており、当時、『伊勢物語』がどういう風にとらえられていたのかが良く分かるので、掲載しておきます。
 
 『和歌知顕集』(伝・源経信
 鳥(とふ)、このものがたりをそこばくの大事として、かきあつめたる事は、なにの所詮かある。おぼつかなし
 風(こたふ)、この人は極楽世界の歌舞の菩薩、馬頭観音と申菩薩也。いま世中の衆生ありさまを御覧ずるに、いざなぎ、いざなみのみこと、あまのうきはしのしたにして、女神をがみとなり給しよりこのかた、いきとしいけるもの、いづれか男女のなからひをはなれたりける。(以下略)

●現代適当語訳
<Q、どうして『伊勢物語』は、こんなにも大事なものとして扱われてるんでしょう? 何か理由があるんですか? 私にはよく分からないのですが。
 A、在原業平はタダの人じゃないんだよ。実は極楽の菩薩、馬頭観音という仏なんだ!
世界中を見回してごらん。イザナギ尊・イザナミ尊が、天浮橋の下で夫婦となってからというもの、生きとし生けるもので、男女関係を離れられるものなど、ひとりもいないじゃないか!>

 な、なんだってー!?(MMR)の勢いです。「いきとしけるもの」に単細胞生物は入ってないのかよ、という問題は置いておいて。
 こんな調子で、【古注】は桃色街道を突っ走っていくのですが、室町後期の大天才・一条兼良が冷静なツッコミを入れることによって、【古注】の時代は終わり、【旧注】の時代がやってきます。

 『伊勢物語愚見抄』(一条兼良
 彼知顕集に、業平中将は馬頭観音小野小町如意輪観音の化身といへり。其外うろむなる事のみなり。これは、後世に色好みの人の此道のかたうどにせんために、経信卿の名をかりて擬作せるにやとぞおぼえ侍る。

●現代適当語訳
<あの『和歌知顕集』とかいう本には、業平は馬頭観音で、小野小町如意輪観音だとか書かれてある。
 だが、それもこれも証拠のないテキトーな話だ。
 あの書物は、後世のエロ親父が、自分の浮気の言い訳に使うために、源経信の名前を使って偽造した本だと思う>

 さすが関白を3回もこなし、自分で「ワシは菅原道真を超える天才だ!」と豪語していた兼良です。言うことが、身も蓋もありません。

 学校でこういう話をすれば、古典の苦手な生徒も食いついてくると思うんですが。
 え、ああ、私ですか?
 私は真面目な教育実習生だったんで、授業ではやってませんよ。
 「課外授業」と称して、いたいけな女子高生に不必要な知識を刷り込んでいただけです。

<参考資料>
堀内秀晃校正『竹取物語伊勢物語新日本古典文学大系岩波書店
片桐洋一『伊勢物語の研究〔資料篇〕』・明治書院
山本登朗『伊勢物語論 文体・主題・享受』笠間書院
武井和人『一条兼良の書誌的研究』おうふう

【珍の探求:其の2 『恵方は回るよどこまでも』】

2005-02-03

 恵方に向かって、巻きずしを無言のまま1本食べる。
 この風習って、近代に入ってから、関西で始まったことだとか。今は全国区に広まっているらしいですが、どうなんでしょうか。
 あと、どうでも良い話ですが、私はお新香の入った太巻きが好きです。ピンク色の甘ったるい田麩が入ってる海苔巻きは許し難い。寿司が甘いなんて!……本当にどうでも良い話です。
 私の家では昔、豆まき・寿司の他に、自分の年齢より1粒多い数の大豆を食べたり、鰯の頭を柊の枝にさして門に掲げることもしていました。別に古式ゆかしい訳ではなく、単に父親がイベント好きで、強制参加させられていただけですが。

 というわけで、節分です。なんとなく節分です。
 節分の起源を遡れば、「追儺(ついな)」という儀式に辿り着きます。
 今日は各地の寺社で追儺式が行われているので(見に行けば良かった…)、TVニュースなんかで目にする人も多いでしょう。
Wikipedia「追儺」



追儺(ついな)とは、旧暦の12月晦日(大晦日)の宮中の年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。追儺とはもとは中国の行事であり、この行事が日本に輸入され、ついに宮廷の年中行事となった。
現在の節分の豆蒔きの元となった行事である。



 具体的にいうと、天皇を鬼から守るため、宮廷役人が方相氏(ほうそうし)と呼ばれる4つ目の面をつけ、槍を振り回しながら宮廷を駆けめぐる儀式です。
 「方相氏」でググっていただければ一発で分かるんですが、思わず「どっちが鬼やねん」と言いたくなるような格好をしています。時代が進み、天皇の私的な神事だった追儺が「節分」として民間に浸透した時には、方相氏自体が鬼に変化してしまい、今見るような「節分の鬼」となってしまったそうです。(『陰陽道の本』より)

 ところで、この追儺の儀式は、陰陽師※1主導のもと行われていました。陰陽師は中国の五行説にのっとった天文・暦・方角を司っており、恵方信仰と深く関わっています。
 恵方は毎年変わります。寿司を食べる向きも、毎年変わります。今年は西南西らしいので、食器棚と向き合って食べることになりそうです。(細かいことを言えば、「西南西」ではなく「西微西」)

Q、なぜ恵方は毎年変わるのですか?
A、回転しているから。これが本当の回転寿司。

 ああ、やめてください。豆を投げるのは。きちんと説明します。

 正しくは歳徳神(としとくじん)」が動いて(回転して)いるからです。この歳徳神のいる方角が「恵方」と呼ばれます。後で書きますが、むやみやたらと移動しているのではなく、一定のルールに従って動いています。
 歳徳神というのは、牛頭天王の后とされる道教の女神です。別名を「頗梨采女(はりさいにょ)」と言い、日本では「牛頭天王スサノオ」「頗梨采女クシナダヒメ」とされ、京都の八坂神社に祀られています。
 陰陽道の書物『ホキ内伝(ホキは外字)』※2には、牛頭天王頗梨采女の説話が載っているそうです(孫引きですいません)。それによると、

<天界の名君、牛頭天王は未だに独身だった。ある日、牛頭天王の元に、天帝の使者の青い鳥がやって来て言うことは、
「南海に住む竜王の娘・頗梨采女は、凄い美人らしいっすよ。彼女と結婚したらどうですかね?」
 喜んだ牛頭天王は、早速部下を引き連れて頗梨采女の待つ南海へ向かった。
 しかし遠い。とにかく南海は遠い。途中で人も馬も疲れ果て、動けなくなってしまった。そこで牛頭天王は「もう少し歩け。そうしたら梅林があるぞ!」とは言わず、素直に、立ち往生した国の支配者に助けを求めることにした。
 その国の王は巨旦将来(こたんしょうらい)というケチだったので、牛頭天王は宿を頼んだが断られてしまう。困った牛頭天王を助けたのは蘇民将来(そみんしょうらい)という、貧しい老人だった。蘇民将来は粟の飯を炊き、草の葉に盛って牛頭天王に差し出した。これに感動した牛頭天王は、蘇民将来へ沢山の謝礼を贈り、その国を後にする。
 そんなこんなで、何とか頗梨采女の元へ着いた牛頭天王は無事に結婚し、20年間で8人の王子をもうけた。
 牛頭天王は自分の国へ戻る時、息子達に巨旦将来の嫌がらせを語って聞かせた。息子達は怒り噴騰し、父の牛頭天王と力を合わせ、巨旦将来の城を攻め滅ぼした。20年の恐るべき執念である。
 牛頭天王蘇民将来をその国の王とし、言った。
「今から私と8人の王子達は、疫病を流行らせて諸国を攻めるが、蘇民将来の子孫であるならば攻めないでおこう」>

 一宿一飯の礼は凄まじいという話です。まぁ、いきなり王様になってしまった蘇民将来にしてみれば「あわわわわわわ」という感じでしょう。
(巨旦・蘇民の話はもっと古くから伝わっており、『ホキ内伝』に伝わっている話は、変形型と言えます)
 今でも寺社で「蘇民将来子孫」と書かれた呪符を配っているそうですが(私は実際に見たことない)、これは、自分が蘇民将来の子孫だと示すことで、疫神が家の中に入ってこないようにするためです。

 さて。長い話でしたが、このストーリーが暦神のベースとなっています。
 頗梨采女である歳徳神と、息子である8人の王子(太歳神・大将軍・太隠神・歳刑神歳破神歳殺神黄幡神豹尾神)、それに巨旦将来の怨念の化身とされる金神(こんじん)が、全方角に散らばっており、くるくる回っているのです。神によって方角に留まっている期間も違います。
(例:歳徳神・金神は1年単位で移動するが、大将軍は3年同じ方角に居座る)
 しかも名前から分かるように、歳徳神以外のほとんどが祟り神の性格を持っています。中世の貴族は、災いのある方角へ行く場合、いちいち「方違え(かたたがえ)」※3をしていました。
 特に強烈なのが金神※4で、金神のいる方角に無礼を働けば家の人間を7人殺すと言い、7人に満たない場合は牛馬も殺すと言われる強烈な祟り神とされています。
 常に金神は、歳徳神とは正反対の方向に位置します。なので、今年は歳徳神がいる西南西の逆、東北東に金神がいることになります。
 歳神については……私が勉強不足のため、また後日説明したいなと思います。
(意外と、「恵方」「金神」以外の歳神について述べているサイトが少ないようなので)

 話を方違え。
 歳徳神の居所、つまり恵方ですが、これの出し方を書いておきます。
 ネットを調べれば「今年の恵方」くらいすぐに分かるんですが、どうやって求めているかを……知りたい人だけ知っておいて下さい。(弱気)
 まず、今年は十二支十干で言うと何年でしょうか?
 十二支までなら「酉年」と答えられるでしょうが、十干まできちんと答えられる人は珍しいと思います。答えを言うと、今年は「乙酉(きのととり)」だそうです。私も知りませんでした。
Wikipedia「恵方」


歳徳神の在する方位(すなわち恵方)は、その年の十干によって下記のように決まる。
甲・己の年:寅と卯の間(甲の方、東微北)
乙・庚の年:申と酉の間(庚の方、西微南)
丙・辛・戊・癸の年:巳と午の間(丙の方、南微東)
丁・壬の年:亥と子の間(壬の方、北微西)



 今年は十干が「乙」なので、歳徳神がいるのは「庚の方角」となります。
 「西南西」ではなく「西南」と書くのは、西洋の方位は360度を12分割するのに対し、東洋は360度を24等分しており、非常に細かいことを言うと、「西南西」では少しズレが生じているわけです。
(参考Wikipedia「方位」

 今回も、エライ長くなってしまってすいません。ブログでやる長さじゃない気がしなくもない。

 ちなみに今日の巻きずし、ハズレっぽいです。

※1陰陽師」…古代日本の律令制度の官職のひとつ。「陰陽寮」に所属した。現代のイメージ「怪しい呪術を使う魔術師」ではなく、政府のちゃんとしたお役人。
 中国で発展した陰陽五行説は、星の運行をベースとしていたので、単なる呪術的な思想ではなく、天文学・地学・哲学など学術的にも進歩を遂げた。
 日本の陰陽寮には、占い・呪術を司る「陰陽師・陰陽博士」と、天体観測を仕事とした「天文博士」、天体の運行から暦を作る「暦博士(れきはかせ)」が所属していた。
 陰陽寮からは暦が発行され、そこには干支(今でいうカレンダー)の他に七曜(インドの暦)、歳位(方角)、吉凶などが記されていた。

※2「ホキ内伝」…鎌倉時代に作られた、陰陽道のテキスト。安倍晴明に仮託して書かれた。別名『金烏玉兎集』

※3「方違え」…今から行こうとしている場所に祟り神がいる場合、いったん知人の家など、別の方角へ移動して、そこから目的地へ向かった。
 ちなみに、方違えを理由にして女性の家に押しかけるケースもままあったようです。

※4「金神」…祟り神として畏れられていた金神を「天地金乃神」と呼び、偉大な神として祀りなおしたのが、教派神道金光教である。

<参考文献>
真弓常忠『祇園神と暦神』八坂神社
『ブックスエソテリカ 陰陽道の本』学習研究社
豊島泰国『日本呪術全書』原書房

【珍書:其の15 『ZERRO ゼロ』】

2005-02-11

 
『ZERRO ゼロ』松田行正・著 牛若丸出版
 去年、無駄遣いした本です。
(ちなみに、今年は収入源が無いので、1冊2000円以上する本は買えません)

 ミステリ小説っぽいタイトルですが、実は、「形が面白い文字・記号・暗号・符号」を、121項目・280頁に渡って紹介している本なんです。
 掲載されてある文字・記号の一例を挙げると……

モールス記号・テレックス暗号・点字・二進法・ピットマン式速記術・カイネジクス・ベルベル文字・約物ネストリウス派文字・ヘブライ文字・さえずりシラブル・黄金虫暗号・女王メアリー暗号・野球のスコア記号・チェス棋譜記号・数学符号・ヌミディア文字・宇宙文字・ラバノーテーション・電気記号・医学記号・錬金術記号・稲留正吉の新日本記号・クリー文字・ブギス文字・サーブリック・錬金術暗号・メンデ文字・サルマナザール台湾語・タイ文字・クロッシングリバーアルファベット・天のアルファベット・マラキム・アルファベット・セマントグラフィ・地図記号・ムー語・日本海軍慣用符号・シュメール絵文字・ホボサイン・トヨクニ文字・バムン文字・チャーノフフェイス・マヤ文字・ファイストスの円盤・ビルマ文字……



 このように、「形が面白い」という共通点意外は、実にメチャクチャに収集されています。
 ページ構成は、見開きの左ページに説明文、右ページに実際の文字や記号が掲載されています。
 ぱっと開いたり、パラパラめくったり。気になった図案があれば、手を止めて説明を読む。どこを読んでも、どこまで読んでも、どこから読んでもOKという、なんというか、とても玩具的な本です。

 個人的に面白かったのが「ホボ・サイン」の項。

 ホボ・サイン
 ヨーロッパのジプシーの間で広まり、ヨーロッパ全土の放浪者(ホボ)の間で使われた仲間内の符丁。
 後から来る仲間へ、この土地の人たちの様子、危険であるかどうかなどの注意点を記号化して、道端や塀などにチョークで書いたもの。


 逆三角形のマークが「道悪し、他浮浪者多し」、猫マークが「親切な婦人が住んでいる」、十字架マークが「信心深い話をすればタダで食える」などなど、
 マークの形と意味が、微妙に絡んでいて笑えます。
 第三者にバレないための工夫なんでしょうが、かなり無理矢理です。

 さて。
 この本を出している牛若丸出版という会社は、一風変わった出版社でして、

牛若丸出版

1985年設立
グラフィックデザイナー松田行正主宰

牛若丸出版 1985年東京設立 グラフィックデザイナー松田行正主宰
牛若丸の本 「本総体としてオブジェらしい本である」ということである。
机や棚に置いてあるだけで存在感のある、手にとってみて、
開いてみて手触りとともにオブジェとしか名状しがたいもの、
本という形態を保ちながらも本を超えたと思わせるような、そんな本である。
しかも、アーティストの作品集というよりは編集が思いきりなされてい
明快な意図が流れていることが望ましい。
が、主宰人いわく、こんなに入れ込んだ本も見本を手にした途端、
デザイナーや編集者の性とでもいうのか、ワーカーホリックとでもいうのか、
興味が次回作に移り、「やはり面白いのはプロセスだ」と納得することもたびたびらしい。
http://www.matzda.co.jp/profile.html



 要するに、デザイナー集団による出版社です。
 なので、装丁は凄く凝っています。紙も良いものを使っています。判型(本の寸法)も変わっています。
 この出版社には、本好きの友達が入院した時、御見舞い品に喜ばれるような本が色々あります。


 話は変わりますが。
 昨日、心斎橋へ行く用事があったんで、数年ぶりにアメリカ村ヴィレッジ・ヴァンガードへ寄ってみたんですが……
 驚きました。欲しいと思える本が、全く無いんです。
 店に並んでる物は変わっていないので、趣向が変わってしまったのは私の方なのでしょう。
 これが歳を食うってことなのね。

 あとまあ、佐藤琢磨コーナーの近くに、鳥肌実コーナーを設置するのはどうかと思いました。
 当然のように、鳥肌コーナーの方がでかいし。

【珍食:其の1 『とりあえずインカコーラ祭り』】

2005-02-12

 友人宅で開催された「コーラ祭り」に参加してきました。
 その名のとおり、コーラを飲むための臨時会合です。
 数年前から何人かの有志で集まり、色んなもの(※)を食しているんですが、今回は、初の飲料系です。
 ※フレンチのコースから爬虫類まで、幅広くカバー。

<今回のノルマ>



★キングインカコーラ(写真左)。
入手先:府内のインカ料理店 入手者:友人夫婦

「コーラと言えば「黒褐色」だろう」と思っていた、私の卑小な既成概念を嘲笑うかのように、きれいな黄金色をしています。
 ボトル裏のラベルには、誇り高き説明がありました。

 コーラのしおり

 南米インカ帝国の緑深きジャングルに古来より、コーラの木生育せり。インディオはこのコーラの実よりエキスを取り出し飲料とす。
 古来インカ帝国の人々はこのコーラを好んで飲用し、誇り高き日常生活を送っていたという。
 このコーラは、コーラの実より抽出したコーラエキスを使用しています。このコーラを適当なグラスに入れ、氷を加えて、ソーダ水又は、冷水にて4〜5倍に薄めてよくシェイクして(よく冷やす事)お飲み下さい。
 お友達の誕生日パーティーに、結婚記念日のお祝いに、又、色々なパーティーの脇役としてお役立て下さい。
 お中元、お歳暮の贈り物としても喜ばれるかと存じます。
 御来客のため、御家族のため、お宅にも是非一本お揃え下さい。


 今年のお中元は、インカコーラが来る予感。
 これさえあれば、マンネリ化したいつもの料理が、たちまち誇り高きコーラ味に大変身。
 ちなみに、味はかなり良かったです。ソーダで割って飲んだんですが、コカコーラやペプシよりも美味しいくらい。

★CURIOSITY COLA(写真右)。
入手先:府内の成城石井 入手者:12v電源
原産国:イギリス

 コーラにジンジャーを加えたという、なんともお得感溢れるコーラ。
 かと言って、単純にコーラとジンジャーエールが混ざった味ではない。ジンジャーというより「生姜」。スパイスというより「薬草」。
 普通にコーラだけで飲ませてくれ、という味でした。
 慣れれば、これが癖になるのかもしれませんが。



 コーラで終わると思いきや、何故か青汁まで出てきました。
 しかも「豆乳飲料 青汁抹茶」。豆乳なのか青汁なのか抹茶なのか。ヨモギまで入っており、とても混沌とした飲み物でした。
 ケーキを青汁と一緒に食べるのは、これが最初で最後にしたいです。

 ◆コーラを飲みながら観たビデオ◆

コスモアイル羽咋 地球外知的生命体探索』
 ここでも紹介したコスモアイル羽咋に行った時、入手したビデオです。
 NHKスペシャルのような真面目さで、真面目に宇宙人の事を語ってくれる、とても真面目なビデオです。真面目すぎて笑い所がありません。

『カリガリ博士DAS CABINET DES DR CALIGARI』
 ホラー映画の古典。無声映画です。
 おそらくマッドサイエンティスト=「白髪・眼鏡・爺」の原型だと思います。

『キス☆キス☆バン☆バンKISS KISS BANG BANG』
 音楽と映像がお洒落なイギリス映画。マフィアもの。
 体は大人でも心は子供という難役を、『レザボアドッグス』『フューネラル』のクリス・ペンが好演してました。良いよ良いよ、クリス・ペン。顎のタプタプ感が、なんとも言えません。
 話の内容は良いし、押さえ所は押さえてるんですが……なんやかんやと詰め込み過ぎで、キレが損なわれていたのは残念。