【珍所:其の3 『続・それゆけ 恐山紀行』】

2005-02-19

 早起きは三文の得で、なぜかイタコのお婆さんと仲良くなりました。
 よく分からない展開なので、順を追って話すと……

 恐山には、とにかく恐山菩提寺しかありません。→参考:地図
 夕方、下界との最終連絡船(※バス)が行ってしまうと、恐山は完全に陸の孤島と化します。当然の如く、携帯電話も圏外。
(×年前の話ですが、たぶん今でも繋がらないと思います)
 横溝正史の小説なら、確実に殺人事件が起こってます。
 そんなわけで、恐山菩提寺を見終わった後は宿に引っ込むしかない。

 当時、私は朝型で、相方のM嬢は夜型でした。
 朝。5時に目が覚めた私は、寝ているM嬢をほったらかして恐山散策へ出かけることにしました。
 素晴らしい友情です。

 外出してる間に施錠されたら困るので、一応、宿の女将さんに声をかけて行こうと思い、食堂を見回すと、部屋の隅で小さなお婆さんが何かを食べている。
 ぎゅっと結い上げられた白髪に、真っ白い着物。どこからどう見てもイタコです。
 台所から出てきた女将さんが、お婆さんに向かって「オンバサ、味噌汁は?」と訊く。
 無言で首を横に振るお婆さん。目の前にあるものは、プラスチックのタッパーに溢れんばかりの……キャベツの千切り。
 お婆さんの前には、キャベツの千切りと湯飲みしかない。主食・副食どうこうのレベルではない。とにかくキャベツしかない。
「今から少し散歩に出かけます」と女将さんに話す間も、隣では黙々と大量のキャベツが咀嚼&嚥下されていく。

<イタコ同士の協定か何かで、キャベツしか食べてはいけないことになってるのか? そもそも、このキャベツは持参品なのか? 潔斎するために肉類を絶っているにしても、なぜキャベツ? キャベツの値段が高騰したらこの人達は絶滅するしかないのか?>
 あまりにもツッコミ所が多い時、人は妄想に走ります。

 キャベツを引きずったまま、とにかくその場を離れ、早朝の宇曽利湖畔を歩いてみたのですが……あまりの寒さに15分持ちませんでした。
 さすが本州最奥。2週間後に閉山するだけのことはあります。関西のノホホンな10月とはケタ違いです。
 しかも、見渡す限り人っ子一人いない。人どころか、生物の気配すらない。
 動くものといえば、黄色い硫黄の川が、泡立ちながら灰青色の宇曽利湖へ流れ込むだけ。

 寒さに負けて宿に帰ると、食堂に設置されている巨大な鉄ストーブの前に、さっきのイタコのお婆さんが座っている。
<さっきの大量のキャベツをもう……?>
 色んな疑問を押さえ込み、何となく挨拶をして隣に座り、ストーブに当たらせてもらう。
 細かい経緯は忘れましたが、なぜかここでイタコさんと意気投合し、「オンバサ(お婆ちゃん)」と呼ぶことに。

 オンバサはイタコ暦50年の大物だということで、色々と貴重な話が聞けました。
 昔は80人いたイタコも今では18人くらいになったとか、今回は30万円で呼ばれたとか。
 少し驚いたのは、全国各地へイタコが出張しているという話です。四国などへも行ってるらしいです。(この方だけかもしれませんが)
 イタコ業とは関係ない話も多く、大学生の孫がお金をせびりに来るけど、そうされてる内が可愛いのだとかエトセトラ。
 他にも色々話をしてもらったのですが、あまりにもディープな下北弁だったので60%くらいしかヒアリングできませんでした。残念。
 ちなみに、キャベツについては聞けませんでした。今でも心残りです。

 1時間くらい話した後、オンバサから「下北駅まで行くから、一緒にタクシーに乗って帰ろう」と言われました。
 二つ返事で受けたものの、何か忘れていることに気付く。
「すいません。友人がいるので、ちょっと聞いてきます」
 部屋に戻り、寝ているM嬢を無理矢理起こす。M嬢は寝起きで目をしぱしぱしている。
 説明するのもめんどくさいので、
「イタコさんが、タクシーで一緒に帰らないかって言ってくれてるけど、良い?」
「良いけど」
 即答でした。

 結局、オンバサとは下北からの電車も同じで、八戸まで一緒に帰りました。
 電車の中では、謎のドイツ人とも遭遇。温泉好きで、今日中に淡路島まで行くのだと言う。
 さすが大陸人。移動スケールが違います。

<後日談>
 結局、オンバサのタクシーで帰ったため、下山にはムード満点な下北交通バスを使いませんでした。
 最近になって、ある教授から聞いた話によると、帰りのバスの車内放送では、
「本日お亡くなりになった方、○○の××さん、□□の……」
 死亡記事を延々と読みあげてくれるそうです。
 なんという非日常ワールド。