【珍の探求:其の4 『今、タイポグラフィは定家様が熱いのか?』】

2005-05-01

 更新をサボっていたら、いつの間にやら、GWに突入してしまいました。

 化粧品会社、(株)サナが発売しているスキンケアシリーズに、「豆乳イソフラボン」シリーズというものがあります。化粧水やら洗顔料やら、色々出てます。
 友人の薦めで使い始めたんですが、なかなか良い感じです。特に値段とか。(ドラッグストアで安く購入できる。お買い得)
 そんなこんなで数ヶ月使っていたんですが……昨日、初めて気付きました。
 ラベルに書かれた、「豆乳イソフラボン」という、ぽってり丸みを帯びた特徴のあるヘタウマな筆文字……



 この書風、まさしく「定家様(ていかよう)」ではありませんか。

 「定家様」とは、和歌の神・藤原定家(さだいえ)の筆跡を真似た書風のことを言います。

 藤原定家(ふじわら さだいえ(ていか))

 応保2年(1162)〜仁治2年(1241)。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者。
 鎌倉時代を代表する歌人で、後世「歌聖」と称され、「百人一首」を選んだとされている。
 藤原氏の御子左家(みこひだりけ)の系統。
 彼の子孫は現在の冷泉家(※)に繋がる。

 ※冷泉家…俊成(定家父)、定家、為家(子)と、三人の大型歌人を輩出した家系。
 その後も、代々「和歌」を生業とし、現在でも和歌を教え、和歌関係の典籍を守り伝えている、とてつもなく由緒正しい家。
 今でも、七夕の原型である「乞巧奠(きっこうでん)」という祭を行っている家として有名。
 ちなみに冷泉家の屋敷は京都の今出川にあり、京都に現存する唯一の公家屋敷です。重要文化財


 この様に「和歌の神」とされている定家ですが、字が汚……とても個性的な字を書くことで有名でした。
 本人も自覚があったようで、日記『明月記』には、
 寛喜三年八月七日条
「徒然之余自一昨日染盲目之筆書、伊勢物語了、其字如鬼
(徒然の余り一昨日より盲目の筆を染め、伊勢物語を書き了んぬ。其の字、鬼の如し)

 寛喜三年八月十八日条
「草子如形校了、平生所書之物、以無落字為悪筆之一得
(草子、形の如くに校し了んぬ。平生書く所の物、落字なきを以て悪筆の一得となす)

 と、自分の字を「鬼のような文字だ」と評しています。
 また「悪筆之一得」には、
「私の字は確かに汚いが、(一文字一文字をはっきり書くから、)古典を模写するには適した文字だ」
 と、いう自負が見えます。

《参考:定家の文字》
コラム 【藤原定家の日記 『明月記』 】(京都国立博物館)
国宝 【手鑑「藻塩草」 御斎会竟日次第断簡(藤谷切)】(京都国立博物館)
重要文化財 【藤原定家筆 『古今和歌集(伊達家本)』】(徳川美術館)

 これが定家でなければ「汚い字だなあ」で済んだのでしょうが、相手は「歌聖」と呼ばれた大ヒーロー。
 定家の筆跡は「定家様」と呼ばれて珍重され、後世、この書体を真似する人がどんどん出てきます。
 この書体を伝えていく流派を「定家流」と呼び、最終的には嫡流冷泉家と、小堀遠州を祖とする茶道の遠州流宗家が、近代まで受け継いでいます。
(あるサイトに、現在「定家流」は「遠州流宗家」にしか残っていないとされていました。ちょっとそこら辺は未確認です)

 時代を経るにつれ、定家様は、文字の太い部分はより太く、細い部分はより細くというように、装飾味を帯びていきます。単に、癖のある字だったものが、徐々に美しいフォント化していくわけです。
 得に冷泉家20代目当主、冷泉為理(ためただ)の文字は、定家流の書体が、行くところまで行っちゃった感じです。(画像が無くて悔やまれますが)丸虫が転がっているような、とても可愛らしい文字です。
 最初に出した「豆乳イソフラボン」の書体も、定家そのものの書体ではなく、後世の定家流の書道家……冷泉為村や、冷泉為紀の書体に似ていますね。

 単に美しいだけなら、「定家様」が、ここまで長く受け継がれていくことは無かったでしょう。
……字が汚くたって良いじゃない!

<参考資料>
五島美術館 定家様図録』