【珍品:其の3 『天川弁才天曼陀羅』(1)】

2005-01-19

 本日の「珍」は『天川弁才天曼陀羅です。

(写真:奈良・能満院蔵 琳賢筆「天川弁才天曼陀羅図」/大阪市美術館 特別展「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」図録より)
「天川弁才天曼陀羅」というのは、奈良県天川村に鎮座する天河神社が発祥の曼陀羅です。
曼陀羅と言いましても、一般的に思い浮かぶあんな曼陀羅や、こんな曼陀羅ではありません。
火焔宝球を戴く3つの山(弥山・大峰山・金峯山)を背にした三面蛇頭十臂の弁才天の周りを、十五童子+水天&火天+吉祥天&訶梨帝母(鬼子母神)が取り囲んでいるという、何とも「珍」な曼陀羅です。
↑写真参照。

ここで、弁才天について基礎事項。
弁才天には、大まかに分けて2タイプの弁才天がいます。
ひとつめは、2本腕で琵琶を弾く「妙音天」タイプ。
もうひとつは、8本腕に矛や弓を持つ「八臂弁才天」タイプ。
そんでもって、中世頃から、この八本腕タイプの弁才天に「蛇」がドッキング(習合)していくのです。
そうやって出来たのが、頭に蛇身爺頭の「宇賀神」を頭の上に載せた「宇賀弁才天」
なんでもありの中世(鎌倉〜室町頃)に、『弁天五部経』というお経が作られまして、
その中に、
「仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠王陀羅尼経」
とかいう、とても長い名前のお経があります。
その中の一文に、
<如是我聞。(中略)
 説此言已宇賀神王従座中顕現、
 其形如天女、頂上有宝冠、冠中有白蛇、
 其蛇面如老人眉白、此則毎諸仏出世奉逢利益衆生年久瑞相、
 復此神王如白蛇、如白玉。(後略)>
弁才天の冠の中には蛇がいて、その蛇の顔は眉の白い爺さんだ!」
と、言ってるわけです。

他にも、『太平記』に
<鎌倉草創の始、北条四郎時政、榎嶋に参籠して、子孫の繁昌をいのる事切なり、三七日に当ける夜、赤袴に柳色の衣着たる女房の端厳美麗なるが、忽然として時政か前にきたりて告げていはく、(中略)背姿を見れば、指も厳かりつる女房、忽に伏長二十丈計なる大 になりて海中に入にけり、頓て其跡を見るに大なる鱗を三落とせり、時政所願成就しぬと悦て、彼鱗をとりて旗紋にそ押たりける、三鱗型の紋是なり、其後弁才天の御告によりて〜(後略)>
美しい女人(弁才天の化身)が蛇に変化したと記してあり、「弁天=蛇」の図式を見ることができます。
また、室町時代には弁才天の絵を掛けて祈祷する、「弁天講」というものが、南都(奈良)を中心として頻繁に行われます。この弁天講は、「巳の日」に行うことになっていたようです。
これらのことから、当時、「弁才天」と「蛇」が、切っても切り離せぬ存在であったことが分かります。

しかし、天川弁才天曼陀羅に至っては、
美しい女人であるはずの弁才天が、そっくりそのまま蛇と化しています。

江戸時中期のものだとされている『大和国天河大辯財天縁起』(『神道大系 神社編5』所収)には、
天川で、弁才天が蛇化した手がかりになりそうな事が書かれてあります。
<二臂尊像元云妙音天、後云辯財天、(中略)
 四臂八臂之別形者依誓願之區區故、致経説之異、満衆望之多多、
 故示所持之品矣、或宇賀神将而現白蛇之身【糸堯】神王之首
 或辯財天而秘青龍之質顕美人之貌矣、
 身持宝器随機根之所求、口説神呪顕速【疒吉】之功能、
 意立誓願契七日之頓成、都三業所作時而不怠、
 衆生所求願而悉満、【帝口】匪成福智敬愛之徳、
 宜又入無上菩提之道(中略)
 役優婆塞霊山計藪之州、機縁純熟而宣本懐於月氏之空、
 白鳳元年、寶所参詣之次、時處相應而和誓心於日域之光、
 于時、玉【山品】之苔上鷲峯八相之烟霞正従、
 瑤池之浪底、竜宮九頭之靉靆鎮聳、剰為示居所、
 攀白飯山、現和国女形美人之相、依請本身、
 分碧潭波、彰三面蛇頭十臂之像、火天風天左右侍衞、
 天人地神上下戴仰、瓦礫荊棘皆成珠玉錦飯之珍寶
 (中略)
 其時行者作出現之相、浮池水之上、生身十臂之像忽来、
 飲木像入水中、云云、>
(【 】は外字)

 えー、ここに書かれてあることは、

1)一般的な弁才天の説明
 二本腕の弁才天は「妙音天」と呼ばれており、後に「弁才天」と呼ばれるようになった。
 四本腕や八本腕の弁才天は、衆生の願いが多岐に渡っており、それを一々叶えるためには、色んな持ち物を持たなければいけないので、たくさん腕を持っている。
 また、宇賀神が白蛇みたいな体を、弁天の首にまきつけていることがあったり、
 弁才天が青龍の本性を秘め、美しい女性の姿で現れたりすることがある。

2)天川弁才天の説明
 白鳳元年(7世紀半)、役行者(=役小角)が天川にやって来た時、美しい女性に行き会った。
 役行者が「本性を見せてださい」と頼んだところ、
 波が分かれて、火天風天などを左右に従え、三面蛇頭十臂の姿を現した。
 役行者がその姿を木に彫ったところ、 池に浮かんでいた三面蛇頭十臂の弁才天がやってきて、
 その木像を飲み込み、水の中に帰っていった。
 (意訳しまくってます。間違っていたらスイマセン。漢文苦手で)
 三面蛇頭十臂の異形の弁才天は、どうやら役行者伝説に便乗して作られたようです。
 熊野・吉野辺りは、何でもかんでも「役行者」か「弘法大師」に由来づけたがる所があるので、この伝承が、天川弁才天の後なのか先なのかは、極めて謎なところだったりします。
 天河神社には恐ろしく古い歴史がありますので、時代としては問題ないんですが。

 江戸時代の百科事典、寺島良安の『和漢三才図絵』(1712年頃に成立)には、
< 天川白飯寺
  一名琵琶山(伝えて曰く、在原業平朝臣此処に入定す)本尊 弁才天、本名宇賀神王。
  役行者先づ当山に入り事を窺ふ。山窟に冷泉湧出し、神霊光明赫耀く。
  此自り大峯に入るの地なり。而る後弘法大師弁才天の像を作りて之を安く>
 とあり、役行者弘法大師、両者に関係があるとされてます。

 絵の事を話そうと思ったんですが、天川弁才天の説明だけで終わっちまいました。
 とゆーわけで、絵の方は次回に続く。……たぶん

<参考資料>
坂元正則校注 『神道大系 神社編5:大和国神道大系編纂会
長谷川端也編 『神宮微古館本 太平記和泉書院
谷川健一編集 『日本庶民生活資料集成29 和漢三才図会2』三一書房
喜田貞吉 『福神』宝文館出版
笹間良彦 『弁才天信仰と俗信』雄山閣出版
山本ひろ子 『異神』平凡社