【珍品:其の4 『天川弁才天曼陀羅』(2)】

2005-01-20


(写真:奈良・能満院蔵 伝託間法眼筆「天川弁才天曼陀羅図」/大阪市美術館 特別展「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」図録より)

 前回の続き。
 三面蛇頭十臂の姿をもつ、異形の弁才天を描いた【天川弁才天曼陀羅】。
 この絵が残っているのは、


  1. 奈良県長谷寺能満院 琳賢筆(前回掲載した天川弁才天曼陀羅)天文15年(1546)
  2. 奈良県長谷寺能満院 伝・詫間法眼筆(上の写真参照)室町時代
  3. 和歌山・高野山親王院 作者不明 室町時代
  4. 京都府・六角堂能満院 大願上人筆 嘉永7年(1854)
    →大願上人は十代の頃、長谷寺に修学している。その時に、2.の絵を模写したもの。

(ここで挙げたのは、私が知っている範囲のみ。他にも残っている可能性は大です。)

 中世、奈良一円で、天川弁才天のブームが起こります。
 貴族・僧侶などがこぞって天川詣を行い、南都の諸大寺に、天川弁才天が勧請されていく。
 室町後期の僧侶・尋尊(※)達の日記、『大乗院寺社雑事記』には、天川弁才天に関する記録が多々残っています。
※尋尊…興福寺大乗院門跡。関白・一条兼良の息子で、「超」がつくボンボンでしかも実力者。この時代、ええとこの坊ちゃんが、次々と寺へ天下りしていきます。

 また絵の話に戻ります。
 なぜ、長谷寺に天川弁才天曼陀羅が2つも残っているのか。(1.と2.の絵)
現在、長谷寺真言宗の寺ですが、中世期は藤原氏の傘下に置かれ、興福寺の末寺にされていました。(真言系に変わったのは桃山時代からです)

 『大乗院寺社雑事記』に記録が残っている天川弁才天と、絵師達の記録を年表にしてみました。
→年表

<※注:ここから先は、フィクションとして聞いてください※>

 私が想像力を逞しくした妄想なんで、本気にしないで頂きたいんですが…(弱い)

 長谷寺に2つの天川弁才天曼陀羅が残っている理由に、絵師同士のバトルがあったと考えるのはどうでしょうか?
 年表を見てもらえば分かるんですが、水色とピンク色に色分けをしています。
 水色は、吐田座(はんだざ)・琳賢(りんけん)関係、
 ピンク色は松南院座(しょうなんいんざ)・清賢(せいけん)関係です。
 吐田座と松南院座は、どちらも室町時代に活躍した「興福寺絵所」つまり、興福寺専門の絵仏師グループです。名前のとおり、興福寺から仕事をもらって生活していました。
 『大乗院寺社雑事記』を見ていると、はじめは吐田座の方が人気高かったようです。それが、1472年頃、吐田座・琳賢坊正有の時代から、力関係が逆転してきます。
 1472年に琳賢坊正有は興福寺に、
「父親が、長谷寺の絵を担当していたから、自分も後を継いで長谷寺を担当したい」
長谷寺は火事で焼けており、修復作業の真っ最中だった)
と、申し入れるのですが、尋尊は、
<一、長谷寺与吉造替檜皮葺事(中略)
一、同絵所事、吐田之琳賢房自父法眼方相承之旨
  申入之、然而彼寺ニ、本来絵所有之間、其方申付
  之云々、且不審事共也>
長谷寺には長谷寺の絵師がいるから」と言って断っています。しかも、<不審事共也>とあるように、琳賢坊正有にあまり良い印象を抱いていないようです。
 琳賢坊正有は、このことがショックでかどうかは不明ですが、次の年に亡くなっています。

 衰退していく吐田座に替わって表舞台に出てくるのが、松南院座。
 松南院座の天才絵仏師「清賢」が、一躍スポットライトを浴びるようになります。
 この清賢も長谷寺に特別な思い入れがあったようで、
 1945年に、「焼けた長谷寺の十一面観音の修復をさせてほしい」と興福寺に頼んでいます。
 その願いは聞き入れられ、清賢は十一面観音の修復に携わることになります。
 華々しい活躍をする松南院座に反して、吐田座はしばらく給与の記録も消えてしまう。

 吐田座は琳賢坊正有の息子、琳賢有勝が登場するまで、陽の目を見ません。

……で。
 この松南院清賢と、琳賢有勝が、共に天川弁才天を描いてるんですね。
 推測するに、2.の絵を描いたのは、詫間法眼ではなく松南院清賢ではないかと思うわけです。
詫間法眼」という名前は、平安時代〜室町初頭まで存続した絵仏師グループの名前です。天川弁才天曼陀羅が描かれた室町時代後期には衰微してるはずなんで、「伝・詫間法眼筆」はおかしい。
 
 清賢の描いた「弁才天曼陀羅」には名前が無く、琳賢が描いたものには名前が残っている。
 そこに琳賢の作為みたいなものが入っていたのではないか……?
 と、考えるのは不謹慎でしょうかね。

(ちなみにこれ、大学で発表したんですが、教授から再起不能になるくらい叩かれましたね。うへえ)

<参考文献>
図録『祈りの道』(曼陀羅図なども)
国史大事典』
『続史料大成 大乗院寺社雑事記』臨川書店
森末義彰 『中世の社寺と芸術』畝傍書房
鈴木吉博 「宿院仏師源三郎の狛弁財天十五童子図について」(『美術史学 第十二号』所収)
奈良県史編纂委員会 『奈良県史 第5巻』名著出版