【珍書:其の4 『一休骸骨』】

2004-05-23

 日本には、ガイコツの出てくる文学作品がたくさん残っています。
 『良寛髑髏詩集譯』(大法輪閣出版)で、飯田利行氏が、一連のガイコツ作品に<髑髏文学>という名を付けていましたが、私はもう少し大きな意味を含めて、<骸骨芸術>と呼びたいと思います。
(「髑髏」だと、頭だけみたいなニュアンスが出てきますしね)
 
 前置きが長くなりました。
 今回は、私が<骸骨芸術>に興味を持つきっかけとなった本、
『一休骸骨』
((有)便利堂 昭55年復刻版)(底本:伝・一休宗純筆・康正3年(1457))

 を、紹介します。



 『一休骸骨』とは、一休宗純(1394-1481)が書いたとされている「仮名法語」です。
 「仮名法語」というのは、庶民にも分かりやすいよう、仮名で書いた説教本の事。
<『一休骸骨』…一休作(と言われている)仮名法語で、様々な人間の生活を思わせる骸骨の群像を描いた挿し絵12葉を間に、道歌をまじえた法語である。
 この挿し絵は無常迅速の理を具体化したもので、人はすべて骸骨と同じであることを悟って、現世の空なることを知り、
 その無相の自己に帰ることをすすめるものである>
『近世文学資料類従 仮名草子編10』(近世書誌研究会 勉誠社)より抜粋。


 とまぁ、難しい事を緒先生方は書いてますが、つまるところ、「メメント・モリ(死を想え)」の仏教バージョンです。

 ちなみに、「メメント・モリ」は、中世末ヨーロッパので大ブームとなった思想ですが、一休禅師の考え方と、驚くほど酷似しています。
 例えば、中世末ヨーロッパでは家にドクロを置き、常に「死を思う」事が大ブームになります。当時は教会で交わされる挨拶も「メメント・モリ」だったというから、悟っているというか、行き過ぎというか。
「今日も逝ってるかい?」「おう、今日も死ぬ気満々さッ!」
 とかなんとか、爽やかな修道士達を思い浮かべてしまう訳ですが。

 で、日本の一休はと言うと。
 有名なところでは、一休が元旦、髑髏をのっけた棒を持って「門松は冥途の途の一里塚 目出たくもあり 目出たくもなし」と町中を叫び歩いたという逸話が残っています(真偽は怪しいですが)。
 正月だと言って浮かれていても、刻一刻と死は近づいている。新たな年を迎える事で、また死へ一歩近づいたんだぞ。という趣旨の歌です。まさしく、メメント・モリですね。
 ちなみに一休は相当ドクロ好きだったらしく、京都・田辺にある一休寺(酬恩庵)には、一休作と言われるドクロ面も残っています。

 とまぁ、こういう無常観をコミカルに書いた本が『一休骸骨』な訳です。
 京都大学のweb文献DBに、『一休骸骨』がアップされてますが、残念ながら、絵入りでは無いようです。
 これは絵入り部分が面白いので、手元に置いてあったコピーをアップします。(『一休骸骨』の翻刻は、時間ある時にアップします。すんません)
 一休骸骨(部分)1
 一休骸骨(部分)2
 一休骸骨(部分)3
 踊る骸骨、抱き合う骸骨、葬式する骸骨。
 この、死と皮肉の交じり方は、西洋における『死の舞踏(ダンス・マカーブル)』と全く同じものだと感じます。
※『死の舞踏』…ダンス・マカーブル(Dance Macabre)とも呼ばれる。ヨーロッパ中世に流行った、骸骨の擬人絵画のこと。
 <14世紀、ヨーロッパで黒死病が流行すると、その恐怖をはらうために集団的に狂舞する事が始まり、やがて城などで行われる疫病祓いの踊りとなり、パートナーが交互に地上へ倒れ込む動作を含んだ娯楽的な舞踊へと変わり、最終的には髑髏で象徴される「死を想起させるもの memento mori」や、生者と骸骨(死)が手をとりあって踊る図像にかわっていった。>
 参考サイト→http://member.nifty.ne.jp/hagu2/euro.htm

 ダンス・マカーブル参考サイト1
 ダンス・マカーブル参考サイト2

 西洋と日本との<骸骨芸術>の相違なんかを、今後も考察していきたいですね。