【雑感:『人体の不思議』】

2004-10-17


 うちの母が、職場から冬のソナタのビデオを全巻借りて帰ってきました。
 わかりやすい母で、本当に助かります。
 まぁ、それで『冬ソナ』ですが。
 ジュンサン(ペ・ヨンジュン)がユジン(チェ・ジウ)に向かって言うわけです。
「すべての星が移動しても、ポラリス北極星)はずっと同じ場所で輝いているんだよね。
 僕が君のポラリスになってあげるから、もう道に迷うことなんてないよ」


 「地球の地軸が変わってしまえば良いのに」
 そう、思ってしまった人とはお友達になれそうです。

 まぁ、北極星は今でも、1°くらいは動いているわけです。
 世の奥様層を敵に回すまえに、前フリはここらへんで止めておきます。

 今晩はロマンチック【星宿】や星の話などを。
 現在『星座』と言うと、まず西洋占星術で使われる黄道12星座や、三ツ星で有名なオリオン座、北斗七星を持つ大熊座、カノープスを持つりゅうこつ座ブラックホールの可能性が指摘されている「はくちょう座X−1」なんかを思い浮かべるでしょう。(ここでいきなり、28宿を思い浮かべたアナタは、人生を振り返った方が良いです)
 西洋の星座は、2世紀頃、天文学者プトレマイオスが決めた『トレミーの48星座』が元になっています。
 その後、南半球の星座やら何やらが追加されていき、現在は88の星座が公式に認められています。

 当時、世界の辺境地にある日本が、この西洋版星座を使いだしたのは、江戸後期や明治に入ってからです。
 じゃあ何を使っていたかというと、中国で作られた星座…『星宿』を使っていたんですな。
 星宿の基本は、天の赤道を通る「28宿」
 西洋の星座が、天の黄道(太陽の通り道)を基準にしているのに対して、東洋では天の赤道(地球の赤道をそのまま天球に投影した線)が基準になってます。

 日本独自の星座の文化は、あまり発展しなかったと考えられています。
 生活に密着した固有の星名は存在しても、そこから西洋のような発展の仕方はしなかったようです。
 逆に、月に関する興味は非常に高く、和歌や物語によく読まれています。日本には、月の呼び名も異常に多い

 月のように文芸や芸術とくっついた発展はしませんでしたが、中世日本において、「星」は宗教間で大フィーバーします。
 ひとつめが、夢枕莫の小説で有名になった陰陽道
 これは中国で儒教の影響を受けて発生した「陰陽五行説」が日本に輸入され、発展していったもの。これはモロに星の影響を受けています。天文暦法と関係が深く、まず星を読むことができなければ、陰陽道はなりたちません。
 有名人物は、吉備真備賀茂忠行・そして、スーパースター☆安倍清晴。
 ふたつめが、仏教と関係が深い、インド系の宿曜道
 これは空海が『宿曜経』を持ち帰ったことからスタートし、10世紀に『符天暦』が伝来するに至って、完成していきます。
 ホロスコープを使った占星術みたいなもので、密教の加持祈祷と結びつき、陰陽道よりも更に呪術性が高い文化を築いていくわけです。有名人物は、天海僧正
 このふたつは、どんどん混ざっていき、日本独自の星神信仰を作り上げていくわけです。

 元々、儒教の世界では、北極星最高神「天帝」と見、道教の世界でも万物の根源となる神「太一」としていました。
 こういった思想が入り、日本でも北極星『北斗七星』が、特に重視されていきます。
 北極星は「北辰(ほくしん)」や「妙見(みょうけん)」、「尊星王(そんじょうおう)」と呼ばれ、神格化していきます。(「妙見」は、北斗七星を指すことも多い)
 北極星を本尊とし、供養するのが三井寺の秘法、『尊星王法』(そんじょうおうほう)です。基本的に延命を目的とした修法です。
 各地に残る「妙見さん」や「妙見菩薩」は、大抵、北斗七星を菩薩化したものです。
 このように、今でも星神信仰のなごりを見ることが…頑張ればできます。
 フツーに生活している方は、あまり見る機会が無いでしょうし。(私も見たことない)
 最近、パチンコ屋の前でよく見かける「北斗の拳」は、私の知る限り、妙見信仰とは関係ないと思われます。
北斗の拳と、星神信仰については、こんなサイト様や、こんなサイト様があります。)

 あと、北斗七星に関係して、摩多羅(またら)神信仰があります。
 摩多羅神と言えば、淫祀邪宗として「真言立川流(しんごんたちかわりゅう)※」と共に弾圧された玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)』の本尊として有名ですが…面白い神様です。
 (※立川流の本尊は摩多羅神ではなく、茶枳尼(ダキニ)天)
 

 まぁ、あれです。
 「僕が君のポラリス云々…」言うくらいなら、
 「僕たちは今、破軍星(北斗七星の第7星)に向かって歩いている!不吉だ、不吉すぎる!」
 くらい、気のきいたセリフを言えば良いのに。